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ATSUSHI NAKASHIMAデザイナー 中島 篤 インタビュー

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16-17AWコレクションから。会場はもともと王宮だった歴史的な建物で、現在は美術館やレストランなどが入っている。

CREATORS TOKYOの中には、アマチュア部門での受賞をきっかけに人生の転機を迎え、ブランドを立ち上げて活躍しているブランドがある。ATSUSHI NAKASHIMAデザイナーの中島 篤さんもその一人だ。ミラノでの17SSコレクション発表を控えた中島さんに、学生時代から今までの貴重な話を伺った。

ファッションの道を志したきっかけについて聞かせてください。

僕はもともと絵を描くのが好きで昔は画家になりたいと思っていたのですが、高校生ぐらいから洋服に興味を持ち始めてメンズノンノなどを読み出しました。そうしているうちにファッションデザイナーになりたいという気持ちが芽生えたんです。デザイナーになるためにはどうすればいいのかを調べたら、服飾の専門学校というものがあるということを知りました。けれどファッションの道に進むことを父に猛反対されて。どうにも説得できなかったので、高校卒業後は就職して1年間働き、お金を貯めて、そしてどうしても諦めきれなかった専門学校に入ったんです。設備が整っていて、物作りの教育に力を入れる、名古屋ファッション専門学校を選びました。学生時代も学費や生活費はバイトで工面しながら通っていました。デザイナーになるという夢に一歩近づいたことが嬉しくて、辛くはなかったです。

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アトリエのある渋谷駅近く、文化ファッションインキュベーションにてインタビュー。

学校生活はどのような感じでしたか?
その後、オンワードファッション大賞(現Tokyo 新人デザイナーファッション大賞アマチュア部門)の大賞を受賞してから人生が急激に変化しますよね?

専門学校ではデザイナーコースでしたが、パターンと縫製のスペシャリストの先生の授業がとても楽しくて。それを通して、ものを作るにはまずは作り方を理解する事が大事だと学び、卒業後は縫製工場で働き始めました。けれど縫製工場での仕事はとても過酷なものでしたね。今までの人生で、一番辛い時期でした。 学校卒業当時は、まずは縫製を勉強し、次にパターンを勉強して、10年くらいかけていいデザイナーになろうと心に決めて服を作っていたんです。けれど縫製工場で働き始めて2年が経つ頃にオンワードファッション大賞に応募したら、グランプリを受賞することができたんです。受賞で人生が大きく変わりました。僕が作った作品はオートクチュールのテクニックを使って縫い目を無くして立体に仕立てた服で、見る人が見なければ分からないデザインにしたのです。ショーでの出番はトップバッターでした。これは憶測ですが、おそらく僕の作品があまりにもシンプルだったので、事務局の方々はトップバッターにしたのではないかと思います。けれど当時の審査員だったゴルチエはオートクチュールコレクションも手掛けるデザイナーだったので、その隠れたテクニックに気付いてくれたんですね。トップバッターだったことが功を奏し、より印象強くアピールできたと思います。そうしてグランプリを受賞することができたんです。

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最終審査会ショーでのモデル着用写真。トップバッターを飾った。

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応募したデザイン画からもシンプルなフォルムが伺える。テーマは「まあるいフォルム」。

ゴルチエに招かれてパリに行くわけですが、アトリエでの経験について聞かせてください。

ゴルチエに呼ばれたことで仕事を辞めてパリへ行きました。語学がまったくできなかったので、2ヶ月間は現地のフランス語学学校に通い、その後、彼のアトリエで働き始めたんです。ゴルチエの直属として働いて、彼の部屋の隣の部屋にデスクが置かれました。けれどそんなにすぐにはフランス語が話せるわけがなく、ゴルチエがいいたいことをきちんと聞き取れないまま体当たりで働き始めたので、大変なこともたくさんありました。そうしているうちに、アトリエにいたバッグ部門のボスを務める女性が、要件を紙に書いてくれて。紙に書いてもらえると落ち着いて訳すことができるので、当時はとても助かりました。そのうちゴルチエからの仕事も彼女を経由して僕に伝達されるようになり、バッグ部門のデザイナーになりました。あるときアイロンで丸みを出すというオートクチュールのテクニックを使ったバッグをデザインしました。現地の職人さんでも難しい作業だったのですが、僕がこれを綺麗に仕上げてみせると職人さん達からの信頼も得られるようになりました。技術の力は饒舌に会話することができない僕を常に支えてくれたと思います。

2年くらい経った頃、ゴルチエがパリでの就労ビザを取得してくれたおかげで安定して仕事をすることができました。最終的には“カードル”という名称の、日本でいう部長のような役職につきました。その頃の僕はずっとバッグを担当していて、最終的にバッグ部門のトップになってオートクチュールの商品デザインなども任されていました。やりがいがありましたね。気づいたらゴルチエでの仕事も5~6年経っていて。当初は3年くらいでいいと思ってパリに行ったこともあり、そろそろ日本に帰りたいとゴルチエに相談したら、その1週間後に呼び出されて、セカンドラインを立ち上げるからそのデザインをしないかという話をもらえて。それで洋服のデザインを1年間させてもらいました。

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グランプリ受賞後、ゴルチエと二人でインタビューを受けた。ゴルチエの興奮具合が伺える。

2011年には帰国してブランドを立ち上げますね。

パリでの経験を自分の糧として、やはり日本で自分のブランドで勝負したいと思いました。帰国した年の2011年にはブランドをスタートしましたが、同じ年にファッション大賞にプロ部門ができたので、2012年に応募そして入賞しました。デビューとなる2012秋冬コレクションから今まで、ショーでの発表を行っています。

海外デザイナー支援DHL Exported賞を日本人として初受賞しました。おめでとうございます。サポートを受けて、ミラノでのショー開催を選ばれましたが、なぜミラノを選んだのですか?

ロンドン、ミラノ、ニューヨークの3都市のいずれかで、ショー開催を行う権利を選べるのですが、初めはロンドンにしようと思っていました。けれど応募する数日前に、急遽ミラノに変更しました。これは直感でしたね。ゴルチェのアトリエにいる間にイタリアの職人さんと関わったり、ミラノの街をたびたび訪れていたことがきっかけで、ものづくりの国、歴史のある国だというのを肌で感じていたからかもしれません。結果、16-17AWのショーをミラノで開催できて本当によかったと思っています。会場は世界遺産でもある美術館内のスペースを使わせてもらって、初めてみたときは感動で震えました。観客もファッション界の著名なかたがたばかりで、盛り上がりがすごくて、温度感が違いました。今月末の17SSコレクションの発表もミラノで行うことになっています。

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16-17AWコレクションのトップを飾ったアイテム。カラフルな球体がついた3Dプリンター製のサンダルが並んで。

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こちらも3Dプリンターで作られたサンダル。メーキングの一部は こちら で見ることができます

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カタログはメンズとレディスの両方を用意する。

今後の展望について聞かせてください。

日本らしさとヨーロッパらしさが調和した服を作りたいです。実はもともと働いていた縫製工場で縫っていたのはコム デ ギャルソンのコレクションでした。ギャルソンのゼロから生み出されたような斬新な服が好きでした。けれどゴルチエのアトリエに入ったことで、伝統のある古き良きものにはすべて意味があり、歴史があって今がある、ということを学び共感できるようになりました。僕は海外の経験はありますが、やはり日本人なので、根底に古き良き日本らしさを感じさせつつ、現在のポップさを取り入れて調和させた世界観を服で表現していきたいと思っています。

PROFILE

中島 篤 Atsushi Nakashima 
2001年 名古屋ファッション専門学校 ファッションスペシャリスト課を卒業後、㈱ニューリードへ入社。在職中に第20回 オンワードファッション大賞でグランプリを受賞し、ジャン=ポール・ゴルチエにスカウトされ2004年に渡仏。ジャン=ポール・ゴルチエ直属のアシスタントデザイナーに就任。2009年よりディフュージョンラインのヘッドデザイナーを務めた。2011年に帰国後、自身のブランドを立ち上げ。2014年から「ジル・サンダー ネイビー」バッグラインのディレクター就任。2015年、DHL Exported 第2期を、日本人で初めて受賞。2016年2月のミラノコレクションに参加した。
official site:http://www.atsushinakashima.com/
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PHOTO : Hiroyuki Takashima / TEXT : SAORI YOKOYAMA
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